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凪池 シリルが時折ぽつぽつと呟く場です。 ゲームの話題が中心。日常ネタもそこそこと。 ちょっとずつ、何か書いて行けるといいなあ。

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正月もひと段落して今日から平常運転。
今年のことを考える前に、去年を振り返ってみます。

おととし、なんとなくで初挑戦してみたスニーカー大賞にまさかの一次通過。
その上不況のあおりで一時、職を休することになったおかげで
本格的にワナビとして転がり始めたというのが去年の最大の事件ですよね。

#どうでもいいけど「きゅうする」でちゃんと「休する」って変換されるのな。
#辞したわけじゃないからノリでそう書いてみただけなんだけど、
#ちゃんと動詞として存在するのかこの言葉。へー。

で、去年実際どれくらい書いたのかといえば、
GAテーマ大賞に短編一本
スニーカー大賞に長編一本
GA大賞に長編一本
……とまあ、こんな感じ。
新参ワナビとしてはどうなんだろう、この本数は。
まあ長編の……というかまともにストーリーを組むことに慣れていない自分としては意外とがんばったかなーという感じなのですが。
しかしこの中でちゃんとペース配分が出来て推敲もして「きちんと」書き上げたといってもいいんじゃないかと思えるのはスニーカーに投稿した一本のみ。それも、去年の焼き直しということでまあ……正直これじゃまだまだあかんねえ。

GAテーマの結果は一次落ち、他二本も周囲の評判は芳しくないし、
正直夢見てられるような腕前ではないのだろうけど。
ただまあ、三本書いたということは、所謂「冒頭作家」からは脱却できつつあるのかなーと。
(話の頭だけ書いて、なんか上手くいかなくてそのまま放置、結局完成させない人のことね)
そこは下ばっか見てないで素直に成長と評価してもいいんじゃないかと思う。

出来は酷かったけど、書くという過程は楽しめてた。
そのことを改めて理解できて、自分は改めて何がしたくて投稿を始めたかというのは見つかった。
要するに自分は、書くことをこれからも続けていきたいんだな。
熱しやすくさめやすい、飽きっぽくて根性もない自分が、それでも唯一、細々とだけど失わなかった趣味。
それをこれからも失くさないために、もう少し意識と技量を底上げしたい。
自分はまだ、思うように文章が書けない。
一ページ書くにもものすごく時間がかかって、その上どうにかひねり出した表現は自分でも納得いかないことが多い。
だからまだ、アイディアを出力するという行為にものすごくエネルギーと時間、何よりやる気が必要になる。
それで、「書き始めよう」と思えるまでがものすごーく重い。
だからこそ今までの体たらくだった。

イラスト描きにたとえると、自分でデッサン狂ってるのが分かるくらいの腕前。
だから、「顔だけ描いてやめる」を繰り返してきたのがこれまで。趣味だから別にいいや、と。
変でもいい、とにかく全身ちゃんと描いてみようと思えるほどの情熱はなかなか出てこなかった。

それが去年、「締め切りが見えてればとりあえず最後まで書いてみる」ことは出来るようになってきたわけだ。

理想とするのは、「あ、書こうかなー」と思ったらさささっととりあえず書きだしてみるってことが出来るくらいの、基礎の文章力と構成力を得ること。
そのためにはやっぱり実際に書き続けるしかない。
今年もう一年は、試行錯誤と挑戦の年にしたいなあ。
……問題は、去年よりも確実に忙しくなることなんだけど。

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ある程度まとまっている話が胸の中でくすぶり続けるという状態に耐え切れず、
結局、無理矢理書き上げてGA文庫大賞へと投稿してきました。
どのくらい無理矢理かというと、日曜日だけで約30枚書いた。
400字詰め原稿用紙で、じゃないです。所謂文庫見開き分、42×34で30枚です。
ちなみに原稿総量は80枚です。

えー、つまり理論上、話が完成していれば3日で一作仕上げられるわけですか。はっはっは。
馬鹿いってんじゃねえorz

まあそんなわけで推敲なしで出したし、時間がなくて色々足りてません。
駄目だとは思うんですが、やっぱり「完成させることによって見えてくる問題点」が
趣味で二次創作してたときとは段違いで、そのことが単純に楽しいというか嬉しいというか。
また何か思いついたらやっぱり書きたいなあ。
いまんところアイディアないんでしばらくおやすみの予定ですが。

あー、そう言えば今回、書き上げたときの気分というか批判に対する覚悟が、
前回より大分冷静な感じなんですよね。
前よりも人の意見を聞く余裕があるというか。
思うに、キャラに対する思い入れが前回より弱いからなんでしょうけど。
創作に対する心構えというか態度としては、どっちのほうがいいもんなんだろうなあ。
逆に今回は完全に頭で考えて動かしてる分、硬い気がする。
でもこっちのほうが「書きなれてくればどうにかなる問題」に思えるしなー。

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スケットダンスで言われてたアレが、味わったこと無いのに悉くスゲー分かる気がするのはなんでなんだぜ。
あ、分からん人はこの辺とか見るといいです。


えー、アイディア思いついた時は凄い面白いと思ったのに、実際書いてみたら駄作だった、ってのはよくあることですが。
よくあるっつーかお前の作品がそうじゃなかったことがあると思ってんのかという話はさておき。

まあそんなわけで、逆に書き始めたその時はいけると思ってるはずなんですよね。
そんな面白くなさそうだけどいいや、とか本気で思ってるなら書き出せるわけがないんだ。
個人で楽しむだけなら脳内でいい、それをわざわざ出力するってのは面倒くさい行為だ。自分にとっては。
で、そのいけるって気持ちが一番強いのはいつかって言えばそれはやっぱり最初に書き始めた時。
そうするとこう……推敲してない文章ってのは……自分のは特に、酷いとは思う、読みにくいし分かりにくいのは確かなんだけど。
でもなんか、そのときにしか出せない、瞬間最大風速的な何かがある、ような気がする。

厄介なのはこの風、どこで吹いてるのか、直後に推敲した時には自分では分かんないんだよね。
必ずしも一番書きたい、っていうところで出てる訳じゃなくて、
わりとどうでもいいと思って書きなぐったシーンや、唐突に思いついて入れた台詞なんかにあったりする。

だからこう、時間がないとか、駄目だなーと思って推敲してない文章を、
どうでも良くなってからふと見直すと驚くことがある。
あれ自分、こんなこと考えてたのか。いいじゃんこれ、と。
で、推敲するとそこを削ってたりする。

自分の文章には推敲は絶対必要。それは分かってる。でも、風を止めないように推敲するにはどうすればいいんだろう。ジレンマ。
一つ考えられるのは、他人に読んで貰う時に、改善点だけじゃなくて、
「このシーンはいいね」「この台詞は好きだな」みたいなこと言ってもらえたら、ってとこだけど、
そんなのは頼んで言って貰うもんではないので、
つまり言って貰えないってことは結局いうほど大した風ではないのだろうけど。

そんなわけでもう一個どうしよう、なのが、
「締め切りぎりぎり、つーか普通にやったら間に合わない状況で、無理してでも仕上げてみるべきか?」
無理をしたら当然生活のいろんなところに響いてくる。
目下ただの趣味なわけで、本来の生活や仕事を犠牲にしてまでやることではない。
しかも書き上げたところで、推敲は出来ない。
でも。
なんとか投稿したいという想いで必死で書くそのとき、風は吹いてるだろうか。
あきらめて締め切りを過ぎて、そのあとからまた書き始めても、風は吹いてくれるだろうか。

色々と難しい。どうすればいいんだろうね。

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先日の考察の続き。

自分がラノベの中で罵倒するシーンを受け付けない理由として、単純に自分がフェミをこじらせて、特に女の子がそういうことをされるのを見るのが不快だから、と思っていたのだが、少し考えてそれだけでもない気がしてきた。

「普通に考えて、どう見ても平均点以上の男女がののしられなきゃいけない理由が分からない」という、「納得がいかないことに対する不快感」のような気もしてきたぞ、と。
現実には、普通に見て可愛い女の子に真正面からブスだのデブだの言える男が居るはずないわけで、やはりそこには「普通じゃない」理由があってしかるべき。
フィクションにリアリティなんか必要ないとは思っているが、説得力は必要だろう。
だからこそ特に「攻撃側がどうしてそういう事するのか」はある程度以上の説得力がある描写はされるべき。
そこを説明しないというのは、考えていないか読者の想像や補完に任せる、ということであり、それは怠慢であり甘えだと思う。

これは余談だが、そうすると自分が「男が女を罵るのはアウト」で「女が男を罵るのはまあ平気」のも割と納得いった。
現実に男には「女に泣かれたらやだ」という気持ちが働くはずだ。別に心優しい人間でなくとも「そうなったらどれほど面倒くさいことになるか」は理解できてるはず。
女が男を罵るのをためらう理由は「本気で怒らせたらかなわない」ことが分かっているから、だと思う。ただ女性はやっぱり「男が女を本気で殴れるわけがない」と侮ってる部分はある。だから平気で意味なく怒らせたりは、出来る人も現実には居ると思う。まあそんな女が登場する話が見てて愉快かはさておいて。

……と、ここまで来て自分が前に書いた小説の何が面白くないか分かってきたぞ。
やはり設定というのはきちんと作ってきちんと説明しなきゃいけない。それが出来てなければストーリーをいくら練ってもそれ以前の問題なのだ。
読み手の立場に立つと「これって○○ってことでいいのかな?」とすっきりしない部分があると本編のストーリーも楽しめない。
○○の部分はあくまで読み手の勝手な想像、にすぎないわけで、それであっているよね、ということを早く作者の側から保障してほしい、それまでストーリーに集中できないわけだ。
そして結局それが最後まで説明されないと、ものすごい消化不良感に陥る。


なるほど気をつけよう。でもこれ、やっぱり自分で書いていると気付きにくい部分ではあるんだよなー。
やっぱしばらくはほかの人に読んでもらって評価をお願いする必要があるなー。

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たまには創作上で考察的なことでも。

……というわけで表題のあれなんですが(我ながら乱暴な分類だなと思いつつ)、最近たまーにどうしても理解できないことがありまして。


自分の中で、「話の中で異性を罵倒する」って行為にはいくつかパターンがあって、

1.現状の不満を、罵倒という形で対象にぶつける。
「あたしはもっとあんたとラブラブしたいのに、どーしてあんたはそんなにぼんくらなん!?貴様は今自分がどれほど愚かなことをしているか理解しろ!そしてあたしをもっと可愛がれ!」という気持ちからの罵倒/暴力。

2.罵倒する側が、罵倒される側への好意を認めたくない
少女マンガでありがちな、「エリートの俺様はこんな奴認めない」という気持ちから、自分の今の感情を打ち消すためにあえて相手の悪口を口に出す。

3.根本的に常識や倫理観が一般人/人間とは違う
別に異性じゃなくても、とにかくコミュニケーションをとろうとしたら自然に罵倒や暴力が出てしまう生き物

4.完全に相手が自分に好意があると分かった上での茶番/甘え

とかに分類されるんですが、最近たまーにこのどのパターンともつかない状態で、むしろお互いフラグが立ってるのかどうかすら微妙な状態から罵倒や暴力に入ってる話とかを見かけて、そうするとどうにももにょる。
例えば1とか2なら罵倒するタイミングってのは決まってくる。1なら相手がぼんくらぶりを見せたときだし、2なら相手に不覚にもときめいてしまったときだろう。
そういうのが見えない、よく分からないタイミング/相手に罵倒や暴力を向けられる、そして相手がそれに対して明確な反撃・防御行動をとらないと、どうにも「こいつ嫌/変な奴だなー」としか思えなくて、楽しめない。
同性同士ならともかく異性に対してだとね。女性は立場的に、男性は肉体的に優位に立てる上で相手を罵倒することになるわけで、「反撃しない相手を攻撃し続ける」って言う行為は自分には相当陰湿なものに見えるんだけど。

なんでこの手の話を書くときは、「何で攻撃側がそういう行動をとるのか/何で受動側はそれを理解するのか」に対するフォローをきっちりやって欲しいんだけどなー。ツンデレならツンデレであると、それが分かっているなら分かっていると、ちゃんと読者には露骨なくらいに示すべきじゃないかと。

……と、思うんだけどどうもこれやっぱり、自分の読解力の弱さか、形式美というやつに対する理解力・包容力のなさが悪い、つまりは自分の読者とし ての問題なのかなあ、と世間を見ているとそうっぽいんだよなー。フィクションのコメディに対してそこまで深く考えてどーすんの、と。
多分、どれも落ちとしてはおおむね1か2に収束するとは思うんだけど。ただやっぱそれが見えないうちからいきなり攻撃するのは、能動側はともかく受動側の感情が理解できない。そこが気持ち悪い。


ちなみにこうは言うが1番なんかはむしろ好みで、こういうのを上手い人が書くと女の子が本当に可愛い。うらやましい。
むう。結局は自分が致命的にラブコメ書くのがへたくそなことに対する嫉妬のような気もする。つーか自分が書く女の子は本当可愛くねえorz



まあちょっと気になったので吐き出してみました。

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はぐれ雑文書き:凪池シリルです。
現在テラネット主催のウェブトークRPG Catch The Sky にてマスター活動中。ご縁がありましたらよろしく。
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